「小1の息子が教えてくれた、人間を磨くということ」
人生に揉まれ立ち向かえ👨🌾
小学生の息子が、塾から一枚のプリントを持って帰ってきた。
見ると、『致知』という雑誌の「人間を磨く」という特集のコピー。おいおい、小学生のうちからずいぶん硬いところを攻める塾だな、なんて思いながらなんとなく眺めていたんです。
だけど、そこに書かれていた言葉たちを読んでいるうちに、ふと手が止まった。
いま、毎日のように田んぼに立って自然と向き合ってる自分の腹に、驚くほどすとんと落ちてきたから。
特に心に引っかかったのが、仏教の「盲亀浮木(もうきふぼく)」という言葉。
100年に一度だけ海に顔を出す目の見えない亀が、たまたま流れてきた流木の穴にすっぽり頭を入れるくらいの、あり得ない確率。私たちが人間に生まれ、こうして生きていることは、それくらい有り難い奇跡なんだという話です。
米作りをやってると、本当にその通りだと肌で感じる。
春に蒔く一粒の種籾。それが当たり前に芽を出して、夏のクソ暑い中を生き延びて、秋に黄金色の稲穂になる。これって、人間の力だけでやってるわけじゃないんですよね。気候とか、水とか、土の中の目に見えない微生物の働きとか、全部のタイミングが奇跡的に噛み合った結果。本当に、当たり前なんて一つもない。
そして教育界の巨星、森信三先生の言葉
そこには自分を磨くためのヒントがいくつか遺されているけれど、それが面白いほど稲の姿と重なるんです。
森先生は「幸福は最初不幸の形をして現れる」と言った。
米作りなんて、思い通りにならないことの連続です。日照り、長雨、台風、病気。だけど、稲っていう植物は、あえて厳しい環境に置かれると、生きようとして地中深くへ必死に根を伸ばす。過保護に過保護に育てられた稲は、ちょっと嵐が来たら一発で倒れる。だけど、逆境を耐え抜いた稲の茎は、太くて、本当に強い。
人間もきっと同じです。
上手くいかないときに「どうせ俺なんて」ってやけになるのは、自分で根を張るのを諦めるようなもの。一番しんどい時こそ、人間としての根っこを深く深く伸ばすチャンスなんだと、稲の青々とした強さが教えてくれます。
目の前の仕事に、ただ泥臭く没頭する
「現在自分の直面している仕事に対して、その仕事の価値いかんを問わず、とにかく全力を挙げてこれに当たり、一気にこれを仕上げる」
農業の現場なんて、地味で泥臭い作業の塊です。
真夏の猛暑の中、終わりが見えない草刈りをしたり、毎日毎日水の様子を見に行ったり。誰が見てくれるわけでもない、華やかさなんて1ミリもない仕事。
だけど、「こんなことやって何になるんだ」って手を抜いた瞬間、それは結果に直結する。どんなに小さな作業でも、これが秋の美味い米に繋がると信じて、ただ無心に、田んぼに向き合う。その、泥にまみれて「没頭する時間」こそが、自分の邪念を削ぎ落として、心をゴシゴシと磨いてくれる砥石なんだと思います。
経営の神様、松下幸之助氏は生涯「感謝と畏れ」を持ちなさいと言い続けたそうです。
ちょっと美味い米が作れたからって、自分の力を過信して傲慢になったら、そこでもう成長は止まります。
私達がどれだけ技術を磨いたって、太陽を創ることも、雨を降らせることもできない。
自然の前では、人間なんて本当にちっぽけな存在で、私達はその営みを少しだけ「お手伝い」させてもらっているに過ぎない。
大自然に対する絶対的な「畏れ」と、この過酷な環境で何百年も米作りを繋いできてくれた先人たちへの、心からの「尊敬」。
これがあるから、自分の小ささを知って、「もっと学ばせてもらおう」と前に進める。
2500年前、孔子は「天を怨まず人をとがめず」と言った。
天気が悪いと天を呪いたくなるし、思い通りにいかないと人のせいにしたくなる。だけど、そんなことをしても現実は変わらない。
むしろ状況は悪くなる。
「ただ、自分の足元を見て、今できることをやるだけです。」
森信三先生が貫いた「最善観」。
一見、最悪に見えるトラブルや不運も、すべては天が「お前、ここでもう一皮剥けろよ」と、自分を育てるために与えてくれた、最高にありがたい試練なんだと受け止めること。
綺麗にスマートに生きるなんて私にはできないけれど、泥にまみれながら、葛藤しながら、不器用でも一歩一歩を踏み出し続ける。
この難解なプリントを、最初、小1の息子が一生懸命に朗読してくれたんです。
「もうきふぼく……? にんげんをみがく……?」
たどたどしい声で、一生懸命に言葉を紡ぐ息子の姿を見ながら、めちゃくちゃ癒されたんですが、「いや、そもそも小1にこれどれだけ理解できるんだ?」と思わず笑ってしまった。息子が本当にこの意味を分かるようになるのは、きっともっと先のこと。
だけど、親である私にとっては、日々の米作りや自分の生き方を見つめ直すような、つい写真に撮って残したくなるほど本質的な学びをもらいました。そんなきっかけをくれた塾と息子には本当に感謝です😆🙏🏻
息子がいつか大人になって、本気で壁にぶつかったとき、一端の男として少しは説得力のある背中を見せられるように。
まずは私自身が、明日からも泥にまみれて、不器用でもまっすぐ目の前の現実に向き合っていこうと思います👨🌾🌾✨


